世界の隅々まで見てみよう!個性派の陸旅倶楽部

㈱トラベルハーモニーの新ブランド『個性派の陸旅倶楽部』が徒然なるままにお届けする、アジア、中近東、ヨーロッパ、アフリカ、北米、南米、オセアニアなど世界各地のホットな情報やそれらにまつわるトピックのブログです。

January 2015

祝!ブログ開設1周年 ご購読、ありがとうございます!


いつも『世界の隅々まで見てみよう!個性派の陸旅倶楽部』をお読みいただき、ありがとうございます。
当ブログは、2014年1月30日に最初のエントリーをアップし、おかげ様で本日、開設1周年を迎えることができました。これもひとえに、お読みいただいている皆様のおかげとスタッフ一同、心より感謝申し上げます。

昨日までの記事の総エントリー数は、232エントリー。ご訪問いただいた方々の延べ人数は6,050人に上りました。個性派の陸旅倶楽部の旅に同行しました添乗員の最新レポートを軸に、世界中のお勧めスポットやニュース、雑学などバラエティに富んだ話題をお届けすべく努力して参りましたが、まだまだ世界中には皆様に知っていただきたいトピックが山のように存在します。
「さすが、個性派の陸旅倶楽部!」と言っていただける内容にすべく、これからもがんばって参りますので、今後とも、ご購読のほど、よろしくお願い申し上げます。

===================================

さて、ブログ開設1周年を記念し、この度、北はアメリカ合衆国から南はアルゼンチンまで南北アメリカ大陸を通る「パン・アメリカン・ハイウェイ」を陸路で大縦断する壮大な特別ツアーを発表しました。
パン・アメリカン・ハイウェイをひた走り、数々の国境を越えながら南を目指すこの旅は、正に「夢と浪漫と冒険」の旅と言えるのではないでしょうか?

Pan_American_Highway

ご興味のある方は、是非ともお問い合わせください!

「パン・アメリカン・ハイウェイ大縦断 2015」のツアー詳細はこちらをクリック!

個性派の陸旅倶楽部のホームページはこちら。

↓↓↓お読みいただきありがとうございました。
  人気ブログランキングに参加していますので、是非下記バナーのクリックをお願いします。
  日々の励みになります!



海外旅行 ブログランキングへ

日本で感じる外国の香り③ 横濱媽祖廟


横浜屈指の観光地であり、また、世界最大級の中華街(Chinatown)でもある横浜中華街。
この中華街には、華僑たちにとって重要な2人の神様を祀る2つの廟が存在します。一つは、商売繁盛の神である関羽を祀る『関帝廟』、もう一つは、航海・漁業の守護神である媽祖を祀る『媽祖廟』の2つです。

今回は、このうち媽祖廟についてご紹介したいと思います。

Mazu_01

■媽祖とは?

媽祖とは、北宋時代に実在したとされる福建省の林氏の娘が神格化されたものであると言われています。

Mazu_03

伝承によると、この林氏の娘は、生後1ヶ月もの間、泣き声一つ上げなかったことから、林黙娘(りん もうにゃん)と名付けられました。幼少の頃から才知に長け、信仰心が篤く、16歳になると神から神通力を得て、村人の病を治すなどの奇跡を起こすなどしたため、人々は次第に敬意を込めて彼女を「通賢霊女」と呼ぶようになりました。

■華僑・華人の心の拠り所に

その後の経緯についてはいくつかの伝承がありますが、28歳の時に修行を終えて天に召された後も、赤い衣装を着て海上を舞い、遭難した人々を助ける姿が度々目撃されたことから、人々は廟を建てて護国救民の神様として祀るようになりました。歴代の皇帝も敬意を表し「天妃」、「天后」、「天上聖母」などの名を贈りました。

現在では、航海を護る海の女神としてだけではなく、自然災害や疫病、戦争などから人々を護る女神として、中国本土、台湾はもちろんのこと、華僑や華人が住んでいる世界各地で篤く信仰され、彼らの心の拠り所となっています。

■横濱媽祖廟開廟まで

横浜中華街の媽祖廟は、中華街の山下公園側、「南門シルクロード」の一角に、2006年3月に開廟しました。
かつて清国の領事館があった場所に2003年、マンション建設の計画が持ち上がりました。この場所にマンションが建つことは中華街の景観上そぐわないこと、そしてその歴史上も中華街にとっても重要な場所であったことから、反対運動が起こり、建設会社との交渉の結果、横浜中華街発展会協同組合が用地を買い取ることでマンション建設計画は白紙に戻す、ということで合意しました。

こうして買収した用地に、長年建立の要望が多かった媽祖廟が建設されることになったのです。

■異国情緒あふれる、横濱媽祖廟

南門シルクロードの突如姿を現わす立派な媽祖廟に一歩足を踏み入れれば、そこはまさに中華世界そのもの。横浜にいるのが信じられないほどです。

Mazu_02

廟内正面には、媽祖(天上聖母)が鎮座し、向かって左側には遠くの声も聞くことができる耳で人々の声を聞き、媽祖に報告する「順風耳」、右側には遠くのものを見ることができる目であらゆるものを見分けて媽祖に知らせる「千里眼」を従えています。この二神はもともと悪神でしたが、媽祖に調伏されて改心し、以降、媽祖の従神となったと言われています。

Mazu_04

その他にも、横濱媽祖廟には、民衆信仰では最高神とされる「玉皇上帝」、縁結びの神様「月下老人」、子宝の神「註生娘娘」、学問の神様「文昌帝君」、安産の神様「臨水夫人」なども一緒に祀られています。

媽祖廟入ってすぐ右手の売店では、各種お守りをはじめ、祀られている神様へたむけるお線香も売られています。入場料を払えば、廟内に入り、祈りを捧げることもできます。

横濱媽祖廟は中華街のメインストリートから少し外れているため、知らないでいるとついつい見逃してしまうかもしれませんが、中華街を訪ねたなら必見の場所です。
是非とも訪れていただきたいと共に、お立ち寄りの際には、上記のような知識を少しでももってお出掛けになると、また違った見方ができるかもしれません。

Yokohama_Chinatown_Effect

個性派の陸旅倶楽部のホームページはこちら。


↓↓↓お読みいただきありがとうございました。
  人気ブログランキングに参加していますので、是非下記バナーのクリックをお願いします。
  日々の励みになります!


海外旅行 ブログランキングへ

添乗員現地最新レポート ヨルダン編⑲


ヨルダン北部ジェラシュは、首都アンマンからは北へ48kmの場所に位置する標高600mの丘の上にあります。

ジェラシュは、古代にはゲサラと呼ばれたデカポリス(十都市連盟)のうちの一つであり、現在も古代ローマ時代の都市遺跡が保存状態よく残っています。その遺跡の大きさや発掘の大規模さ、保存状態の良さから「中東のポンペイ」とも呼ばれています。

デクマノス

デクマノス2

デクマノス3

フォーラム2

フォーラム跡

競馬場

劇場跡

商店の跡

商店床モザイク

噴水跡

噴水跡2

青銅器時代(紀元前3200年~紀元前1200年)には集落があったことが分かっていて、ヘレニズム期にはセレウコス朝シリアやプトレマイオス朝エジプトの争奪の地でした。この時期にギリシャ風の建物が多く建てられ、アンティオキアと名付けられた町の一つでした。紀元前63年、古代ローマにより征服された後、シリア属州の一部となり、近隣の都市とデカポリス(十都市連盟)を組みました。ローマ帝国のもとで治安や平和が保たれたことにより、人々は経済活動や公共施設の建設に時間や労力を割くことができ、交易が発達して都市基盤が整ったとされます。

ハドリアヌス帝は、129年から130年にかけてゲサラを視察巡幸しています。今見られる凱旋門は、この際の訪問を記念して建てられました。ラテン語による碑文には、皇帝を護衛する騎馬兵がこの地で越冬した間に、神々への奉納を行ったことが記録されています。

凱旋門

614年にササン朝ペルシャの侵入によりゲサラは急激に衰退しましたが、イスラム帝国による征服やウマイヤ朝の支配下でも都市活動は活発に行われていました。その後、746年に大きな地震が町を襲い、以降、ジェラシュは再建されませんでした。1920年代になると、現在まで続いている遺跡の発掘が始まり、一部土中に埋もれていた都市が姿を現わしたのでした。

(おわり)

====================

本日で、添乗員現地最新レポートのヨルダン編は終了です。お読みいただき、ありがとうございました。
次回の添乗員現地最新レポートは、2月の初旬より、南米のアルゼンチン、チリ、ボリビアへのツアーをレポートいたします。お楽しみに!

個性派の陸旅倶楽部のホームページはこちら。


↓↓↓お読みいただきありがとうございました。
  人気ブログランキングに参加していますので、是非下記バナーのクリックをお願いします。
  日々の励みになります!



海外旅行 ブログランキングへ

添乗員現地最新レポート ヨルダン編⑱


サルトはヨルダン中西部の中心都市。
古代から農業で栄えた町は、アンマンとエルサレムとを結ぶ街道の半ばにあります。

町中3

町中

町中2

町中4

町中5

町中6

サルトの歴史は古く、前期青銅器時代にまで遡ります。一時期はトランスヨルダンの首都としての機能をはたしていたこともあります。
ローマ帝国が支配していた時期、サルトはラテン語で森林を意味するサルトゥスの名で知られており、後の東ローマ帝国時代には、主教が置かれていました。この時期、サルトゥスはヨルダン川東岸の中心都市となっていました。モンゴル帝国の襲来によって破壊されたサルトは、マムルーク朝時代に再建されます。その後、オスマン帝国による支配の後には再度、ヨルダン川東岸の中心都市となります。

全盛期は19世紀末期、ヨルダン川西岸のナブルスの貿易商人たちが交易路をヨルダン川の東へ延長してサルトに至った時期です。自然の美しさや水の豊かさに恵まれていたサルトには、新しい住民が流入して急速に拡大しました。その頃、近郊で切り出された山吹色の石灰岩を使って建てられたナブルス風の家々が建ち並ぶようになり、いまだに19世紀末の伝統建築が多数残っています。

ここで紹介する有名な商人アブ・ジェーベルの邸宅は、JICAの整備により現在はエコ・ミュージアムとなっています。

アブ・ジェーベルの邸宅

jica パネル

JICAは従来の博物館(建物)に資料を収集し、来訪者がそれを見学するのではなく、町中の現地保存した資料を来訪者が現地へ見に行くという、エコ・ミュージアムの概念に基づいて協力しました。

博物館内 石 

博物館2 衣装

博物館3 

(つづく)

個性派の陸旅倶楽部のホームページはこちら。

↓↓↓お読みいただきありがとうございました。
  人気ブログランキングに参加していますので、是非下記バナーのクリックをお願いします。
  日々の励みになります!



海外旅行 ブログランキングへ

添乗員現地最新レポート ヨルダン編⑰


ヨルダン北部の都市にアルジュンはあります。
首都アンマンからは北西へ約76kmの場所に位置する丘の多い町です。ここでは、12世紀に建てられたアジュルン城が有名です。

アジュルン町 城から

アジュルン城はかつて、修道院のあった丘の上に建てられています。

外観

1184年、イスラムの英雄サラディーンの部下により、ダマスカスとエジプトを結ぶ道をカラクの十字軍による攻撃から守るために建てられました。その後、マムルーク朝の時代に増築されましたが、1260年にモンゴル帝国軍によって陥落しました。

城の周囲を囲むように堀の跡が残り、現在の入口にはかつて、跳ね橋が架かっていました。内部は3階建て~5階建ての構造になっており、各部屋の床面積は広く、当時多くの兵士がいたことが分かります。

内部 回廊

内部 部屋

内部

内部2

内部3

ここは修道院跡に建てられたため、一部、床にモザイクが見られるほか、雨水を利用した水利システムも見ることができます。

モザイク跡

内部の博物館には、アジュルンで発掘された紀元前に遡る土器や壺の展示されており、また、全盛期に活躍した投石器の石玉が今も積み上げられています。

当時、伝書鳩を利用してダマスカスからアジュルン城、カラク城、そしてエジプトへとメッセージを伝達していた記録も残っています。

今回のヨルダン探訪では北西部アジュルンに1泊し、前述のウンム・カイス、タバカット・ファハル、そして、アジュルン城を訪ねました。

(つづく)

個性派の陸旅倶楽部のホームページはこちら。

↓↓↓お読みいただきありがとうございました。
  人気ブログランキングに参加していますので、是非下記バナーのクリックをお願いします。
  日々の励みになります!



海外旅行 ブログランキングへ
記事検索
プロフィール

〒160-0004
東京都新宿区四谷3-1 須賀ビル7F
03-3226-8802(電話)
03-3226-8815(FAX)
info@rikutabi.com(メール)

アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ