2015年10月6日(火) 第45日目

本日は、まずヤズドの市内観光です。
まずはイスラム教のモスクへ。旧市街の中に金曜モスクのジャメ・モスクがあります。元々ここにはゾロアスター教の神殿が建っていたのですが、14世紀にモスクが建てられました。

Jame_Mosque_01

Jame_Mosque_02

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続いてゾロアスター教神殿へ。ゾロアスター教は紀元前7から前6世紀に古代ペルシャで生まれたとされるゾロアスターが教祖。光明神アフラ・マズダを主神とし、暗黒神アンラ・マンユと闘争を繰り広げ最終的には光明神が勝利し闇を打ち払らったとされています。光と闇、善と悪の二元論を特徴とする宗教で、人間は「聖なる魂」の側につくのか「悪の魂」の側につくのか判断は個人に委ねられ、死後人間は「最後の審判」を受けて善に従った者は天国、悪に従った者は地獄に落とされるとされました。ここでは聖なる火が1500年以上絶やさず燃え続けています。意外と日本とも繋がりがあり、かつて「松田ランプ」と呼ばれた白熱球や日本を代表する車メーカーであるマツダの名は、アフラ・マズダにちなんだものです。

Zoroastorian_Temple_01

Zoroastorian_Temple_02

そして、そのゾロアスター教で鳥葬の場として使われてきた沈黙の塔へ。土、風、水、火を汚さぬように鳥葬が行われてきましたが、1930年代に禁止となりゾロアスター教徒もイスラム教徒と同じく土葬となりました。

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Tower_of_Silence_01

私たちは女性用の沈黙の塔に上りました。急な坂を登りきるとヤズドの街が一望できました。かつてはここは街の外だったのですが、今では街の中に取り囲まれたような感じです。

Tower_of_Silence_03

Tower_of_Silence_04

観光を終え、シラーズへ向け出発です。今日もまた長い移動、約430kmとなります。

途中アバルクという町で昼食です。

Lunch_01

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順調に走り、予定よりも早く途中の観光地であるパサルガダエに到着。ここは紀元前546年頃、キュロス2世が開いたアケメネス朝最初の首都であり、ペルシャ帝国発祥の地でもあります。キュロス2世の死後、ダレイオス1世に建設が引き継がれ、スーサに遷都するまで栄えました。プライベート宮殿、謁見の宮殿とキュロス2世の墓を見学しました。

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再びバスに乗りシラーズへ。約2時間走りようやくホテルに到着。

夕食はホテル内レストランにて。

Dinner

今日も長い移動でした。皆様お疲れ様でした。

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2015年10月7日(水) 第46日目

本日は、シラーズ滞在2日目です。

Breakfast

まず、イラン旅行でのハイライトのひとつ、ペルセポリスの観光です。シラーズから約1時間で到着。

Persepolis_Distance_View

ペルセポリスは紀元前522年頃、ダレイオス1世によって創建されて以降、歴代の王が建築・改修を重ねたアケメネス朝ペルシャの都です。大祭用の都市として繁栄を極めたのですが、前330年マケドニアのアレクサンドロスにより焼き払われ廃墟と化しました。シラーズから60km離れた標高1600mの高地に築かれました。総面積は13万㎡と東京ドームの約2.5倍となります。

111段の階段を上ると、クセルクセス門が現れます。またの名を「万国の門」とも言われ、朝貢の使節たちはここを通って宮殿に入りました。西の門には牡牛像、東の門には有翼人面獣身像が立っています。

Persepolis_Xerxes_Gateway_01

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Persepolis_Xerxes_Gateway_04

ホマと呼ばれる双頭鷲像は柱頭にもなっていました。かつて日本にも就航していたイラン航空のシンボルでもありす。

Persepolis_Homa

百柱の間はペルセポリスで最大の広間で、大きさは70m×70m、臣民に担がれている王を描いた「玉座の王像」などが残ります。

Palace_of_100_Columns

アパダーナと呼ばれる謁見の間、ここの東階段には23カ国の使者たちや牡牛を襲う獅子像のレリーフなどが見られます。アパダーナにはかつて、高さ20mの柱が36本ありました。使節の謁見や新年祭の儀式などに使われました。

Persepolis_Apadana

Persepolis_Apadana_Relief_01

Persepolis_Apadana_Relief_02

Persepolis_Apadana_Relief_03

この季節にしては珍しく、日中の気温は30℃以上、暑い中よく歩いた後は近くのレストランで昼食です。洞窟風レストランです。

Lunch

ペルセポリスから少し離れたところに、2つのナクシェがあります。
まず最初はナクシェ・ラジャーブへ。ここは岩山に高さ3mほどの大きなレリーフが彫られています。サーサーン朝時代のものです。王と神が同じ大きさで表され、王の権威の高さがわかります。

Naghsh_e_Rajab_01

Naghsh_e_Rajab_02

Naghsh_e_Rajab_03

次はナクシェ・ロスタムへ。ここはアケメネス朝の4人の王の墓です。また、この場所には全く異なる時代であるサーサーン朝時代のレリーフも残されています。ダレイオス1世の墓の下にはサーサーン朝時代の「騎馬戦勝図」が。これはシャープール1世の前にビザンツ皇帝のウァレリアヌスがひざまずきペルシャ帝国が全世界を支配したということを象徴しています。

Naghsh_e_Rostam

再びシラーズへ戻り、エラム庭園へ。エラムとはペルシャ語で「楽園」という意味で、19世紀ガージャール朝時代にムハンマド・ゴリー・ハンによって建造されました。ガージャール朝時代の傑作と評されます。

Eram_Gardem

そして、サーディ廟へ。サーディはシラーズ出身の抒情詩人で、1226年から約30年間、托鉢僧として中東、北アフリカやインドなどのイスラム圏を遍歴しました。彼の作品は「果樹園」「薔薇園」が特に有名で、共に道徳・教養の書です。

Saadi_Mausoleum_03

Saadi_Mausoleum_01

また、ここには地下水路カナートがありますが、最近では水量がとても少なくなりました。

Saadi_Mausoleum_02

最後にハーフェズ廟へ。ハーフェズはイランで最も敬愛されるシラーズ出身の抒情詩人。彼は生涯、シラーズを離れることはありませんでした。本名はシャムソッディン・ムハンマドといい、幼少時からコーランを暗唱するのが得意だったので「ハーフェズ(暗唱者)」と呼ばれていました。彼の詩は美しいリズムと音楽性を持っています。

Hafez_Mausoleum_01

Hafez_Mausoleum_02

ホテルに戻り少し休憩をとり、夕食へ出発。レストランまで250年前の城塞キャリムハンやバザールを散策しました。

Before_Dinner_01

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レストランに入ると民族音楽の演奏があり、聞きながら夕食を頂きました。今日もよく歩きました。

Dinner_02

Dinner_01

(つづく)

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