2015年10月10日(土) 第49日目
本日はまず、イマーム広場にあるイマーム・モスクの観光へ。
昨日は金曜礼拝の為に入られず、改めてイマーム広場へやってまいりました。
1611年から30年間かけて建造されました。創建者のアッバース1世を記念して「王のモスク」とも呼ばれています。礼拝堂はメッカへの向きを合わせる為、入口の正面ではなく入口から45度南西に向けた位置に造られました。装飾の素晴らしさもさることながら、音響効果が優れています。音を出すと12回音が反響して聞こえます。
モスクの中は工事中のところがあり、3年周期である部分を直しているのでいつも必ずどこかしら工事を行ってます。美しいブルータイルやモザイクには目を奪われます。
昨日は金曜礼拝の為に入られず、改めてイマーム広場へやってまいりました。
1611年から30年間かけて建造されました。創建者のアッバース1世を記念して「王のモスク」とも呼ばれています。礼拝堂はメッカへの向きを合わせる為、入口の正面ではなく入口から45度南西に向けた位置に造られました。装飾の素晴らしさもさることながら、音響効果が優れています。音を出すと12回音が反響して聞こえます。
モスクの中は工事中のところがあり、3年周期である部分を直しているのでいつも必ずどこかしら工事を行ってます。美しいブルータイルやモザイクには目を奪われます。
観光を終えバスに乗りギャズのお店へ。ギャズとは、イスファハンの名物お菓子で、砂漠に自生する灌木のエキスやバラの香りで風味を付けた白いヌガーのようなもの。ピスタチオがたくさん入っているものが質が良いと言われています。
この工場で出来たばかりのギャズを購入。改めて出発します。
この工場で出来たばかりのギャズを購入。改めて出発します。
順調に走り、予定通りカシャーンに到着。ここはカヴィール砂漠と緑地帯に挟まれた小さなオアシス都市で、古くから絨毯と絹織物の産地として栄えました。テヘランとイスファハンのちょうど中間に位置します。まずは昼食です。
食後はカシャーンの観光、フィン・ガーデンに立ち寄りました。
アッバース1世の時代にその基礎が築かれ、その後歴代の王達が離宮として用いました。ガージャール朝時代の宰相アミーレ・キャビールが暗殺された場所としても知られています。きれいな水をふんだんに使った庭園で、至る所に噴水や池を配してます。魚が泳ぐ程澄んだ水が流れています。
庭園内にあるチャイハネでちょっと休憩、チャイをいただきました。お昼寝をするにはもってこいの場所です。
ハマムも残っており、ここでアミーレ・キャビールが暗殺されました。
アッバース1世の時代にその基礎が築かれ、その後歴代の王達が離宮として用いました。ガージャール朝時代の宰相アミーレ・キャビールが暗殺された場所としても知られています。きれいな水をふんだんに使った庭園で、至る所に噴水や池を配してます。魚が泳ぐ程澄んだ水が流れています。
庭園内にあるチャイハネでちょっと休憩、チャイをいただきました。お昼寝をするにはもってこいの場所です。
ハマムも残っており、ここでアミーレ・キャビールが暗殺されました。
観光後いよいよ首都のテヘランへ。途中モスクでトイレ休憩、イランはどこに行ってもトイレは水洗できれいです。
また大きな塩湖が見えました。ここでは塩を取り精製して、食用として使われています。
テヘランが近づいてきました。街に入る前に大きなミナレットが。ここはイスラム革命の指導者ホメイニ師の霊廟。
1979年パフラヴィ皇帝を国外に追放し、イスラム共和制政体を成立させイラン・イスラム共和国の最高指導者として精神面から指導しました。1989年6月3日86才で亡くなり、その日からこの霊廟の建設が始まりました。1995年に亡くなった2番目の息子アフマド・ホメイニもここに眠っています。ここは写真ストップしました。
1979年パフラヴィ皇帝を国外に追放し、イスラム共和制政体を成立させイラン・イスラム共和国の最高指導者として精神面から指導しました。1989年6月3日86才で亡くなり、その日からこの霊廟の建設が始まりました。1995年に亡くなった2番目の息子アフマド・ホメイニもここに眠っています。ここは写真ストップしました。
ようやくホテルに到着。偶然にも現在テヘランに来ているサッカー日本代表チームも滞在中ということで、もしかしたら有名選手に出会えるかも。
夕食はホテル内レストランにて。チキン・シュニッツェルです。
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2015年10月11日(日) 第50日目
今日も抜けるような青空、終日テヘランの観光です。
続いて考古学博物館へ。
イラン全土から集められた紀元前6000年から19世紀に至るまでの貴重な考古学的、歴史的美術品を展示しています。ペルセポリスからもたらされた「ダレイオス3世紀の謁見図」(蓮の花→王のシンボル)、「階段のレリーフ」「牡牛の柱頭」などを見ました。
イラン全土から集められた紀元前6000年から19世紀に至るまでの貴重な考古学的、歴史的美術品を展示しています。ペルセポリスからもたらされた「ダレイオス3世紀の謁見図」(蓮の花→王のシンボル)、「階段のレリーフ」「牡牛の柱頭」などを見ました。
昼食は街の中のレストランにて。
続いてガラス器博物館へ。イランにおける約2000年前から現在に至るまでのガラス器と陶磁器の歴史がわかる博物館です。長期で戦争に出ている夫を想い悲しみの為に溢れる涙を入れた涙壺など。
建物自体はガージャール朝期のアフマド・カヴァムの名にのよって建てられた執務室を兼ねた宮殿で、1954から61年にはエジプト大使館となり、その後中央銀行となりました。1977年パフラヴィ2世夫人ファラが買い上げ現在の博物館へと生まれ変わりました。
建物自体はガージャール朝期のアフマド・カヴァムの名にのよって建てられた執務室を兼ねた宮殿で、1954から61年にはエジプト大使館となり、その後中央銀行となりました。1977年パフラヴィ2世夫人ファラが買い上げ現在の博物館へと生まれ変わりました。
続いて皆さん見たたいと意見が一致した宝石博物館へ。イラン・メッリ銀行本店の地下金庫にイラン革命前まで王家が所有していた宝石コレクションが展示されています。入口にある孔雀の玉座やパーレヴィ王冠はガージャール朝の戴冠式で用いられダイヤモンドが3380個使われています。セキュリティはとても厳しいです。残念ながら撮影禁止の場所どころか荷物の持ち込みは一切禁止です。
その後は、街の中にあるスーパーマーケットへ。大きな近代的なスーパーマーケットで2階建て。もちろん値段などの数字はペルシャ数字。
その後は、街の中にあるスーパーマーケットへ。大きな近代的なスーパーマーケットで2階建て。もちろん値段などの数字はペルシャ数字。
続いてアザディ広場へ向かい、アザディ・タワーへ。1971年、ペルシャ建国2500年を記念して建てられました。高さは45mでエレベーターで上まであがられます。ここでちょうど夕日が見られました。
テヘランの街はいつも渋滞。昼間は200万人増えるというのも頷けます。
夕食は日本食レストランにて…というよりは中華のようです。お食事はジャージャー麺と牛肉炒飯そして、揚げ春巻きです。
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