世界の隅々まで見てみよう!個性派の陸旅倶楽部

㈱トラベルハーモニーの新ブランド『個性派の陸旅倶楽部』が徒然なるままにお届けする、アジア、中近東、ヨーロッパ、アフリカ、北米、南米、オセアニアなど世界各地のホットな情報やそれらにまつわるトピックのブログです。

ニュース

【ニュース】ガラパゴス諸島(エクアドル)のウォルフ火山が噴火


昨年の御嶽山の噴火から始まり、箱根、浅間山で火山性活動が観測されるなど、火山大国日本では昨今、火山の話題が取り沙汰されています。
そんな中、遠く南米はエクアドルから火山噴火のニュースが飛び込んできました。エクアドルの中でも日本人にも人気の観光地、ガラパゴス諸島での噴火です。

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現地時間5月25日(月)の早朝、ガラパゴス諸島西側に位置するイサベラ島のウォルフ火山が噴火しました。
イサベラ島は面積4,588kmで、ガラパゴス諸島最大の島です。同島はエクアドル火山、ウォルフ火山、ダーウィン火山、アルセド火山、シエラ・ネグラ火山、セロ・アスル火山の6つの火山からできており、そのうち、エクアドル火山を除く5つの火山が活火山で、今回噴火したウォルフ火山が標高1,707mで最高峰です。

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今回の噴火での人的被害や観光への影響は出ていない模様ですが、ゾウガメやイグアナなどの固有種が多く生息する場所であるため、生態系への影響が心配されます。

情報提供元:㈱ラティーノ

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リー・クアンユー氏死去 シンガポール建国の父の足跡をたどる


ではなぜ、リー・クアンユー氏は頑ななまでにマラヤ連邦に留まろうとしたのでしょうか?

シンガポールは面積僅か600㎢(日本の淡路島とほぼ同じ面積)の島国に独立当初は200万人の人口、周辺をマレーシア、インドネシアとイスラム教国家に囲まれた国です。国土が極端に小さいということは国防の観点から見ても不安定な状況に置かれることを意味し、人口の大多数を華人系住民が占めるという現実は、非イスラム教国家の小国として有事の際であるなしに関わらず、孤立化の危険性をはらみ、大きな不安要素となりかねません。
加えて、基本的に一切のエネルギーや食糧のみならず水さえも自給できないという生産基盤も欠如していました。

このような状態の中でシンガポールが国として独立したらどうなるのか、その困難さを誰よりも認識していたからこそ、リー・クワンユー氏は何としてでもマラヤ連邦内に留まり、その中で生きる道を模索しようとしたのでした。
それも叶わず、半ば追放という形で独立せざるを得なくなったリー・クアンユー氏は、19658月9日の独立宣言の途中、自制心を失って涙したと言われています。それは、シンガポールのリーダーとして自身の双肩にのしかかるあまりにも大きすぎるプレッシャーと、シンガポールの未来に対する底知れぬ不安の表れだったのかもしれません。「Strong Man」とすら呼ばれたリー・クアンユー氏にとってすら、あまりにも過酷な現実だったのです。

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シンガポールの国家建設は、文字通り「ゼロ」からのスタートであり、リー・クアンユー氏は様々な政策を展開してシンガポールを発展への道へと導いていきました。
それらは時に国内外から、特に人権の側面から批判にさらされることもありましたが、「アジアにはアジア特有の価値観がある」との「アジア的価値」を全面に押し出し、開発独裁と呼ばれる強権的な政治体制を堅持していきました。

リー・クアンユー氏の功績は枚挙にいとまがありません。それらについては専門書に譲りますが、ここではシンガポールが置かれた状況が最もよく表れている民族政策について簡単にご紹介したいと思います。

シンガポールには元来、移民の同化対象となる優位な文化が存在していなかったため、リー・クアンユー氏率いるシンガポール政府は、民族集団に依拠する「●●人」ではなく、民族を超越した「シンガポール人」というアイデンティティーを創り上げようとしました。同時に、多民族が共存するシンガポールにあって、民族間の対立は国を滅ぼしかねないとの懸念から、様々な法律を制定し、多民族が融和する国家創設を目指したのでした。
これに付随して、国際社会で有益な英語を公用語とし、その他、それぞれの国民の母語である華語(中国標準語)、タミル語も同様に公用語としました。なお、シンガポールの国語はマレー語です。これは、土着の民族であったマレー人に対する配慮だとも、あるいは、マラヤ連邦との分裂は一時的なものであり、いずれは再び連邦に戻るつもりであったため、とも言われています。

Singapore_Sign

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今年、シンガポールは建国50周年を迎えます。
1965年に不本意ながら独立した当時、誰が現在のような繁栄を極めるシンガポールの姿を想像したでしょうか?それは、リー・クアンユー氏ご本人にしてもそうだったのではないでしょうか。
様々な批判にさらされ、そして、様々な問題を抱えていたのも事実ですが、わずか50年の間にこれだけの国家を建設してきたことも紛れもない事実であり、これこそがリー・クアンユー氏の総合的なそして最大の功績だと言えるはずです。

Singapore_Land_Scape

50周年の節目を目前にこの世を去らなければならなかったことは無念だったかもしれません。しかし、自らの役割を全うし、その結果に納得ができたからこそ、シンガポール人として愛してやまないシンガポールを後世に託し、旅だっていったようにも思います。

ご冥福をお祈りします。

(おわり)

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【訃報】リー・クアンユー氏死去 シンガポール「建国の父」逝く


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シンガポールの初代首相で、シンガポール「建国の父」とも称されるリー・クアンユー氏が3月23日午前3時18分(日本時間同4時18分)、同国内の病院でお亡くなりになりました。91歳でした。

【シンガポール=吉田渉】シンガポール首相府は23日、同国のリー・クアンユー元首相が同日午前3時18分、同国内の病院で死去したと発表した。91歳だった。同氏は2月上旬に肺炎で入院し、治療を受けていた。1965年の独立から25年にわたり首相を務め、強力な指導力で同国を世界有数の富裕国に引き上げた。現首相のリー・シェンロン氏は長男。

 リー氏の訃報は同日未明に首相府が声明を通じて発表した。葬儀などの詳細は追って発表するとしている。トニー・タン大統領は自身のフェイスブックで「リー氏の先見性と発展への絶え間ない追求が無ければ、現在のシンガポールは存在しなかった」と述べた。(日本経済新聞より抜粋掲載)

早朝にもたらされたこの訃報に接し、また一つの時代の終焉を感じずにはいられません。
追悼の意味も込めて、この機会にリー・クアンユー氏及びシンガポールの歴史や功績を2回にわたり、ここで簡単に振り返ってみたいと思います。

自叙伝によると、客家系華人の4世にあたるといいます。曾祖父の時代に清の時代の広東省を出発し、当時イギリスの海峡植民地だったシンガポールに移住してきました。

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第二次世界大戦後イギリスに留学し、帰国後は弁護士として活動していましたが、1954年11月21日、同志たちとともに人民行動党(People's Action Party; 略称PAP)を創設、同党は後述のシンガポール独立以降は現在に至るまで一貫して与党の座を維持しています。

1959年、国防と外交を除く国内問題に対する自治権を得て、リー・クアンユー氏はシンガポールの初代首相に就任、以降1990年に首相の座を後任のゴー・チョクトン氏に明け渡すまで実に31年間にわたって首相を務めることとなります。1961年にマラヤ連邦首相のラーマン氏がシンガポール、サバ州、サラワク州を含む連邦形成を提案すると、これをシンガポールのイギリスからの独立、将来へ向けての繁栄の好機と踏んだリー・クアンユー氏は実現へ向けての活動を展開。1963年9月16日、シンガポールは晴れてマレーシアの一部となったのでした。

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リー・クアンユー氏の悲願であったマレーシアとの連邦関係も、残念ながら長くは続きません。
マレーシアはマレー人が大多数を占め、マレー人などの土着の住民を優遇する「ブミプトラ政策」と呼ばれる政策をもつ国でした。一方、シンガポールは華人系住民が大多数を占めており、そのシンガポールをマレーシアに包含すること、そして、その代表である人民行動党がマレーシアにおいて政治活動を行うことにマレーシア政府は大きな懸念を抱くようになります。

1964年7月21日にはマレー系住民と華人系住民の衝突が発生、多数の死傷者を出す惨事となりました。同年9月にはさらに大きな暴動が勃発、これにより国民生活に大きな影響が出るに至りました。
これらを受け、ラーマン首相は「中央政府に忠誠を示さなかった州政府とは、すべての関係を断ち切る」との方針を打ち出し、シンガポールを連邦から追放することを決定しました。リー・クアンユー氏は何としてでも連邦に留まるべく、あらゆる打開策を熟考し続けたものの失敗に終わり、1965年8月7日、リー・クアンユー氏はマラヤ連邦からの分離に合意する文書に署名したのでした。
そして、2日後の同年8月9日、シンガポール共和国の独立がリー・クアンユー氏により、宣言されたのでした。

これは、シンガポールの独立という体裁ではあったものの、実際にはマレーシア連邦からシンガポールが追放されたに等しく、苦渋の選択により、独立せざるを得なかったという側面をももつものでした。

(つづく)

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【ニュース】チュニジアの首都チュニスで武装集団が観光客を襲撃



昨晩から軒並みニュース番組を賑わせているので既にご存知の方も多くいらっしゃると思いますが、北アフリカのチュニジアの首都チュニスで、武装集団が観光客を襲撃するという痛ましいテロが発生しました。現場は、チュニス市内きっての観光地でもある「国立バルドー博物館」で、日本人にも死傷者が出てしまいました。国立バルドー博物館は、国内各地のローマ遺跡から出土した素晴らしいモザイク画の展示で有名で、ほとんどの観光客が訪れると言っても過言ではない場所です。

BARDO_MUSEUM_01

以下、東京海上日動リスクコンサルティング株式会社より配信された情報の抜粋です。
チュニジアの首都チュニス(Tunis)市内にある国立バルドー博物館(The
National Bardo Museum)で2015年3月18日、武装した男2人が銃を乱射し、少
なくとも外国人観光客20人を含む22人が死亡、42人が負傷した。警察は、犯人
2人を射殺し、共犯者の行方を追っている。

同国のシド(Habib Essid)首相が、犠牲者の中に日本人が5人いたと発表し
た。日本外務省は情報の確認を急いでおり、午前9時現在、邦人3人の死亡、3
人の負傷を確認している。
チュニジアは、イスラム国家ではありますが、その中でも比較的穏健な「ソフト・イスラム」に属する国で、国内のイスラムの戒律も比較的緩やかで、ゆえに、数多く残るローマ遺跡などの観光素材の充実も相まって、観光立国でもあります。

TUNIS

そんな穏健なチュニジアに2010年から2011年にかけて歴史の転換期が訪れました。国の花であるジャスミンから名をとって「ジャスミン革命」と呼ばれる革命です。一青年の焼身自殺に端を発した反政府デモが全土に拡大し、結果、23年間続いた政権を崩壊させました。そして、このジャスミン革命は他のイスラム諸国へと飛び火し、いわゆる「アラブの春」の発端となったのでした。

今回の事件が一刻も早く収束し、再び観光客が安心してチュニジアを訪れることができるようになることを切望すると共に、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたします。

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日本もデザイン変更を検討・・・世界の綺麗なパスポートをご紹介!



旅行に限らず、海外へ渡航する際には必ず必要となるもの、それは何と言っても「パスポート」。
パスポートとは、政府またはそれに相当する公的機関が交付し、海外に渡航する自国民の国籍や身分を証明するとともに、外国官憲に保護を依頼する公的文書のことを言います。日本では、「旅券」とも呼ばれます。

現在の日本のパスポートは、1992年に縦12.5cm、横8.8cmのサイズとなり、1995年には従来の5年有効のパスポートに加えて10年用のパスポートが導入され、表紙の色は5年用が紺色、10年用が赤色となっています。
デザイン的に見ると、表紙には皇室の紋章でもある「十六一重表菊」が印刷され、各ページには桜の絵柄やページの数字が薄く印刷されています。
2006年にはICチップが内臓された他、細やかな印刷様式の変更で偽造対策は行われていますが、デザインはほとんど変更されていません。

そんな日本のパスポートですが、ICチップが内臓されているページが分厚くて使いにくい、他国に比べて地味、との意見が多く、政府がデザイン変更の検討を始めたとのニュースが入ってきました。
まだデザインは決定していませんが、デザイン案として、
  • 富士山などの名所旧跡を印刷
  • 国内の世界遺産を印刷
  • 葛飾北斎の浮世絵「富国三十六景」を印刷

などの案が出ているようです。

政府は、このデザイン変更を機に、「パスポートを親しみやすいものにする」、「パスポートを通じて海外での日本文化の発信につなげる」ことをめざしたいとしています。

2020年に東京オリンピックの開催が決定していることから、2019年までのデザイン変更を目指します。

さて、世界中の国には、綺麗でデザインの優れたパスポートがいくつも存在します。

最後は、そんなパスポートのいくつかをご紹介したいと思います。


■アメリカ合衆国

USA

アメリカの象徴である鷲のデザイン、ニューヨークの「自由の女神」などの名所旧跡、独立宣言の抜粋などが印刷されています。


■ノルウェー

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3色の色鮮やかな表紙


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中のページには、簡素化されたフィヨルドの絵柄が印刷されていますが、ただのフィヨルドの絵ではありません・・・


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ブラック・ライトを当てると、なんと!

オーロラが出現するという憎い演出がほどこされています。


■スイス

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真っ赤な表紙にはよく見るとスイス十字が型押しされています。

中のページのデザインも非常にカラフルで、すべてのページが異なるデザインとなっています。


■カナダ

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写真左側は国会議事堂の絵が印刷されたページを普通に見たもの。

これにブラックライトを照射すると・・・右のように、建物がライトアップされ、花火が打ちあがる仕掛けになっています。


こうやって見ていくと、綺麗で可愛らしいパスポートが世界中にはたくさんあることが分かります。

せっかく日本のパスポートのデザインを変更する動きがあるのであれば、世界中の人々からうらやましがられるような斬新なデザインを取り入れてほしいものです。


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