ヨルダン北部ジェラシュは、首都アンマンからは北へ48kmの場所に位置する標高600mの丘の上にあります。
ジェラシュは、古代にはゲサラと呼ばれたデカポリス(十都市連盟)のうちの一つであり、現在も古代ローマ時代の都市遺跡が保存状態よく残っています。その遺跡の大きさや発掘の大規模さ、保存状態の良さから「中東のポンペイ」とも呼ばれています。
青銅器時代(紀元前3200年~紀元前1200年)には集落があったことが分かっていて、ヘレニズム期にはセレウコス朝シリアやプトレマイオス朝エジプトの争奪の地でした。この時期にギリシャ風の建物が多く建てられ、アンティオキアと名付けられた町の一つでした。紀元前63年、古代ローマにより征服された後、シリア属州の一部となり、近隣の都市とデカポリス(十都市連盟)を組みました。ローマ帝国のもとで治安や平和が保たれたことにより、人々は経済活動や公共施設の建設に時間や労力を割くことができ、交易が発達して都市基盤が整ったとされます。
ハドリアヌス帝は、129年から130年にかけてゲサラを視察巡幸しています。今見られる凱旋門は、この際の訪問を記念して建てられました。ラテン語による碑文には、皇帝を護衛する騎馬兵がこの地で越冬した間に、神々への奉納を行ったことが記録されています。
614年にササン朝ペルシャの侵入によりゲサラは急激に衰退しましたが、イスラム帝国による征服やウマイヤ朝の支配下でも都市活動は活発に行われていました。その後、746年に大きな地震が町を襲い、以降、ジェラシュは再建されませんでした。1920年代になると、現在まで続いている遺跡の発掘が始まり、一部土中に埋もれていた都市が姿を現わしたのでした。
(おわり)
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