世界の隅々まで見てみよう!個性派の陸旅倶楽部

㈱トラベルハーモニーの新ブランド『個性派の陸旅倶楽部』が徒然なるままにお届けする、アジア、中近東、ヨーロッパ、アフリカ、北米、南米、オセアニアなど世界各地のホットな情報やそれらにまつわるトピックのブログです。

イラン

【実況生中継!】 シルクロード大横断2015 第47、48日目


2015年10月8日(木) 第47日目

本日はシラーズを出発して、イスファハンへ向かいます。

シラーズを出る前にひとつだけ観光に立ち寄りました。ローズ・モスクです。

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ここはまたの名をピンク・モスクとも呼ばれていますが、名前からも想像がつくようにピンクや黄色の装飾がふんだんに使われた一風変わったモスクです。

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ガージャール朝時代の1887年に完成。中庭に向かって開放されたアーチ状の空間・イワーンを南北に2つ配置してます。冬の礼拝堂にはステンドグラスが嵌め込まれていたりとモスクらしくないモスクです。何やら礼拝堂ではたくさんの観光客が撮影会をしていました。

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観光の後は世界の半分・イスファハンへ向け出発!街を走っていると「甘いレモン」を発見!

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以前からガイドのハミドさんが言っていたのですが、ここに来てようやく見つけることができました。すかさず購入し後でいただくことに。

ちょうど中間あたり、ソルマックという町で昼食を。

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セロリと羊肉の煮込みが出てきました。味はセロリのピクルスなのか酸味が利いてます。そして、甘いレモンの登場。

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見た感じはミカンや普通の柑橘類といった感じなのですが、ナイフで手頃な大きさに切りかぶり付くと…確かに甘い。

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柑橘類は酸っぱいというイメージでいただくと、そのギャップが不思議な感じです。その甘さも他に形容できない甘味です。ようやくハミドさんの言っていたことが証明されました。

再びイスファハンへ向け出発。今日は本当にスムーズに移動できまた。心配していた街の中の渋滞も殆どなくホテルに到着。ホテルは観光の中心、イマーム広場にも近く散策しやすい場所にあります。夕食前に散策された方もいらっしゃいました。

夕食はホテル内レストランにて。

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カルテットの演奏がありましたが、撮影禁止ということで残念ながら画像はありませんが、熱のこもった愛に関する歌を歌って演奏してくれました。観客は私たちのみでした(笑)

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2015年10月9日(金) 第48日目

本日は、終日イスファハンの観光です。
まずはジャメ・モスク(金曜モスク)へ。

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創建は8世紀で各時代に改修・拡張が行われてきましたが、12世紀のセルジューク朝時代に焼失した為再建されました。18世紀までに増改築が繰り返され、現在の形となりました。イラン・イラク戦争時には爆撃されました。各時代の異なる建築様式が見られるので建築家を目指す者にとって「建築の博物館」となっています。

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バスに乗りヴァーンク教会へ。場所はザーヤンデ川の南岸で、街の南西にアルメニア人居住区のジョルファー地区があります。ここはかつてアッバース1世が優秀なアルメニア人職人や商人を連れてきたのが始まりで、信仰の自由は守られましたが居住区は制限されていました。17世紀に造られたこの教会はイスラムのタイル装飾とアルメニアのキリスト教系の装飾が融合しました。

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また敷地内にはアルメニア博物館を併設、世界一小さい福音書(14ページ、0.7g)や40年前テヘラン在住のアルメニア人がダイヤモンド製器具で文字を刻んだ髪の毛などが展示されていました。

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次はミナール・ジョンバンへ。16世紀アッバース1世の時代に建造された聖人アムー・アブドゥラーの廟で、高さ17.5mのミナレットを力強く押すと揺れます。これは耐震構造の為に焼きレンガの組み合わせの中に木が入れられているからです。「揺れるミナレット」とも呼ばれています。

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以前は観光客の為にミナレットを揺らしてくれたのですが、残念ながら現在はやってません。仕方なくミナレットを揺らしているDVDを観ました。

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再びイスファハンの街へ。残念ながら川の水は枯れてしまっているザーヤンデ川に架かる2つの橋を見に行きました。

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まず最初にスィー・オ・セ橋へ。ここは全長400mあり2階建て、33のアーチの橋です。下の階はいい日除けになりたくさんの人たちが集まっています。

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もう一つはハージュ橋。17世紀半ばアッバース2世が建造した長さ160mの橋です。

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その両端には獅子像が立っていますが背中がピカピカに。

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なんでも若い未婚の女性がここを訪れ7回周りそしてこの獅子の背中に乗ると結婚が出来るという言い伝えがあるとか。今では地元の人たちにとっても写真スポットとなっています。

ひとまず観光を中断し、イマーム広場の近くにあるレストランで昼食です。

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お食事にはアブグーシュトという壺焼きが出てきました。煮込んだ肉、豆、じゃがいもなどを壺の中で専用の器具を使って調理したもので、それをナンの上に乗せて食べます。壺は小さいかなと思いきや結構な量、二人でいただいて十分な量が入ってます。

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腹ごしらえが終わり、一度ホテルに戻って少し休憩。その後は歩いてイマーム広場へ。16世紀末から17世紀初めにかけてサファビー朝第5代王アッバース1世が建造した広場でかつては「王の広場」と呼ばれていました。東西160m、南北510mで周囲には二層のアーチ式回廊が囲んでいます。かつて、この広場ではポロ競技も行われていたそうです。ここがいわゆる、「世界の半分」です。

まずはシェイク・ロトフォッラー・モスクへ。王族専用のモスクとして17世紀にアッバース1世が建造。内装の美しさで知られ天井は光が入ると孔雀が羽を広げたように見える装飾が施されています。

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そして向かいにあるアリ・カプ宮殿へ。ティムール時代の15世紀に建造、その後アッバース1世以降に改築が重ねられ、7階建ての建物となりました。18本の松の木の柱があるテラスと音響効果に優れた「音楽の間」があります。

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その後はお買い物の時間。ここイマーム広場にはイランの色々なお土産が揃っています。ひとまず皆さん一緒にお店巡り。初めはペルシャ更紗店へ。全て伝統工芸で、親から子へと継がれていく技術で現在は8代目だそう。彫刻された版に自然染料をつけて綿にプリントしていきます。ガラム・カールと呼ばれます。ここでお買い上げ。

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続いて絨毯店へ。ペルシャ絨毯はとても有名なもので4000年前から織られてきたと言われています。店では羊毛、コットン、シルクの絨毯を値段を聞いては溜息つきながら見せてもらいました。

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続いて細密画店へ。ここではラクダの骨に猫の尻尾の毛で作った細い筆を使い、細かな絵を描いていく作業を見ました。最近ではとてもよくできたプラスチックもあるようです。ここでもお買い上げ。

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お買い物が終わったところでフリータイム。暗くなると昼間とは違った雰囲気にライトアップが行われ、地元の人たちがたくさん遊びにやってきます。

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野崎様はキルギス人の団体に遭遇したようで、やはりあの帽子に気づかれた様子。キルギス人のみならずヨーロッパの人達からもいつも声を掛けられる状況で、今ではイランではちょっとした知られた存在かも。

夕食前にもう一軒。銅板を皿や器に加工しその上にエナメルで美しい彩色を施したものでミーナー・カーリーと呼ばれます。青が多いのですが、トルコ石から作る緑色も鮮やかでそして彩色が細かくとても美しいです。

近くのレストランで夕食。メインはペルシャ湾の魚ティラピアのフライです。スズキの仲間の魚です。

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食後は歩いてホテルまで。

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(つづく)

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【実況生中継!】 シルクロード大横断2015 第45、46日目


2015年10月6日(火) 第45日目

本日は、まずヤズドの市内観光です。
まずはイスラム教のモスクへ。旧市街の中に金曜モスクのジャメ・モスクがあります。元々ここにはゾロアスター教の神殿が建っていたのですが、14世紀にモスクが建てられました。

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続いてゾロアスター教神殿へ。ゾロアスター教は紀元前7から前6世紀に古代ペルシャで生まれたとされるゾロアスターが教祖。光明神アフラ・マズダを主神とし、暗黒神アンラ・マンユと闘争を繰り広げ最終的には光明神が勝利し闇を打ち払らったとされています。光と闇、善と悪の二元論を特徴とする宗教で、人間は「聖なる魂」の側につくのか「悪の魂」の側につくのか判断は個人に委ねられ、死後人間は「最後の審判」を受けて善に従った者は天国、悪に従った者は地獄に落とされるとされました。ここでは聖なる火が1500年以上絶やさず燃え続けています。意外と日本とも繋がりがあり、かつて「松田ランプ」と呼ばれた白熱球や日本を代表する車メーカーであるマツダの名は、アフラ・マズダにちなんだものです。

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そして、そのゾロアスター教で鳥葬の場として使われてきた沈黙の塔へ。土、風、水、火を汚さぬように鳥葬が行われてきましたが、1930年代に禁止となりゾロアスター教徒もイスラム教徒と同じく土葬となりました。

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私たちは女性用の沈黙の塔に上りました。急な坂を登りきるとヤズドの街が一望できました。かつてはここは街の外だったのですが、今では街の中に取り囲まれたような感じです。

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観光を終え、シラーズへ向け出発です。今日もまた長い移動、約430kmとなります。

途中アバルクという町で昼食です。

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順調に走り、予定よりも早く途中の観光地であるパサルガダエに到着。ここは紀元前546年頃、キュロス2世が開いたアケメネス朝最初の首都であり、ペルシャ帝国発祥の地でもあります。キュロス2世の死後、ダレイオス1世に建設が引き継がれ、スーサに遷都するまで栄えました。プライベート宮殿、謁見の宮殿とキュロス2世の墓を見学しました。

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再びバスに乗りシラーズへ。約2時間走りようやくホテルに到着。

夕食はホテル内レストランにて。

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今日も長い移動でした。皆様お疲れ様でした。

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2015年10月7日(水) 第46日目

本日は、シラーズ滞在2日目です。

Breakfast

まず、イラン旅行でのハイライトのひとつ、ペルセポリスの観光です。シラーズから約1時間で到着。

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ペルセポリスは紀元前522年頃、ダレイオス1世によって創建されて以降、歴代の王が建築・改修を重ねたアケメネス朝ペルシャの都です。大祭用の都市として繁栄を極めたのですが、前330年マケドニアのアレクサンドロスにより焼き払われ廃墟と化しました。シラーズから60km離れた標高1600mの高地に築かれました。総面積は13万㎡と東京ドームの約2.5倍となります。

111段の階段を上ると、クセルクセス門が現れます。またの名を「万国の門」とも言われ、朝貢の使節たちはここを通って宮殿に入りました。西の門には牡牛像、東の門には有翼人面獣身像が立っています。

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ホマと呼ばれる双頭鷲像は柱頭にもなっていました。かつて日本にも就航していたイラン航空のシンボルでもありす。

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百柱の間はペルセポリスで最大の広間で、大きさは70m×70m、臣民に担がれている王を描いた「玉座の王像」などが残ります。

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アパダーナと呼ばれる謁見の間、ここの東階段には23カ国の使者たちや牡牛を襲う獅子像のレリーフなどが見られます。アパダーナにはかつて、高さ20mの柱が36本ありました。使節の謁見や新年祭の儀式などに使われました。

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この季節にしては珍しく、日中の気温は30℃以上、暑い中よく歩いた後は近くのレストランで昼食です。洞窟風レストランです。

Lunch

ペルセポリスから少し離れたところに、2つのナクシェがあります。
まず最初はナクシェ・ラジャーブへ。ここは岩山に高さ3mほどの大きなレリーフが彫られています。サーサーン朝時代のものです。王と神が同じ大きさで表され、王の権威の高さがわかります。

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次はナクシェ・ロスタムへ。ここはアケメネス朝の4人の王の墓です。また、この場所には全く異なる時代であるサーサーン朝時代のレリーフも残されています。ダレイオス1世の墓の下にはサーサーン朝時代の「騎馬戦勝図」が。これはシャープール1世の前にビザンツ皇帝のウァレリアヌスがひざまずきペルシャ帝国が全世界を支配したということを象徴しています。

Naghsh_e_Rostam

再びシラーズへ戻り、エラム庭園へ。エラムとはペルシャ語で「楽園」という意味で、19世紀ガージャール朝時代にムハンマド・ゴリー・ハンによって建造されました。ガージャール朝時代の傑作と評されます。

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そして、サーディ廟へ。サーディはシラーズ出身の抒情詩人で、1226年から約30年間、托鉢僧として中東、北アフリカやインドなどのイスラム圏を遍歴しました。彼の作品は「果樹園」「薔薇園」が特に有名で、共に道徳・教養の書です。

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また、ここには地下水路カナートがありますが、最近では水量がとても少なくなりました。

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最後にハーフェズ廟へ。ハーフェズはイランで最も敬愛されるシラーズ出身の抒情詩人。彼は生涯、シラーズを離れることはありませんでした。本名はシャムソッディン・ムハンマドといい、幼少時からコーランを暗唱するのが得意だったので「ハーフェズ(暗唱者)」と呼ばれていました。彼の詩は美しいリズムと音楽性を持っています。

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ホテルに戻り少し休憩をとり、夕食へ出発。レストランまで250年前の城塞キャリムハンやバザールを散策しました。

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レストランに入ると民族音楽の演奏があり、聞きながら夕食を頂きました。今日もよく歩きました。

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(つづく)

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【実況生中継!】 シルクロード大横断2015 第43、44日目


2015年10月4日(日) 第43日目

本日は、マシャドからシャールードへ向かいます。

まずは2時間ほど走ると、エマーム・レザーゆかりの地ガダムガに到着。ここは、エマーム・レザーがマシャドに向かう途中立ち寄った場所で、その際の足跡が祀られています。ガダムガとは「足跡」という意味です。ここもまた聖地となっており、女性はチャドルを被っての入場です。地元の人に混じって私たちも参拝しました。

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また、その近くにあるキャラバンサライも見学しました。ここはマシャドを出発したキャラバンが3日間移動した距離となります。

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引き続きバスに乗り、30分ほどでネイシャーブールという街に到着。ここは、オマル・ハイヤームが生まれた場所で、オマール・ハイヤーム廟を見学します。

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オマル・ハイヤームは、セルジューク朝時代の学者・詩人であり、イラン・イスラム文化の代表者でもあります。「ハイヤーム」とは天幕造りの意味で、父親が天幕造り職人であったから。セルジューク朝の王マリク・シャーに招かれ、メルヴの天文台で暦法改正に携わり、現在のイラン歴の元となるジャーラーリー歴を作成。33年に8回の閏年を置くもので、グレゴリウス暦よりも正確なものでした。ルバーイイ(四行詩)を多数うたい、詩人としても高い評価を得ました。その彼のお墓を見学しました。

その後は近くのレストランで昼食を召し上がって頂き、再び出発。

途中、きれいなドライブインで休憩、そして400年前のキャラバンサライに立ち寄り、約500kmの移動を終えシャールードに到着。

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今日のホテルはどの部屋も簡易キッチンや床暖房が付き、2つのベッドルーム、2つのトイレがあったりと、1泊だけとはもったいないホテルで、出来ることならもう1泊したいと思わせるホテルでした。

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夕食はホテルにて。

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皆様、長い移動、お疲れ様でした。

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2015年10月5日(月) 第44日目

本日は、シャールードからヤズドへ。今回のツアーの移動の中では一番長い730kmの移動です。

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まず1時間走ってガムダンという町に到着.
ここにはイランでも最古のモスクのひとつである、ターリク・ハーネ・モスクがあります。

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創建は1200年前、エマーム・レザーの時代と非常に近いです。ここはいつも到着してから管理しているおじさんに電話で連絡してから入り口を開けてもらいます。サーサーン朝の建築スタイルで造られたミナレットは950年前に造られ、焼きレンガが使われています。

観光後、近くにあるダムガン駅へ。

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イランではなかなか鉄道の駅を見ることはないので、それも兼ねてここでお手洗い休憩です。イランはどこに行っても水洗のトイレで清潔に保たれています。出発しようかなとしていたところでお巡りさんが登場。グループを代表して、藤本様のパスポートが一時お預けとなりました。何かしらチェックをしているのかとは思うのですが、暫し待たないといけないなと思っていたところに列車が駅に入ってきました。

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なんという偶然。藤本様ありがとうございます!(笑)
 
パスポートも無事に戻ってきて、改めて出発。この後はひたすら砂漠を縦断するのみです。カヴィール砂漠はイラン北部のイラン高原にある長さ800km、幅320kmにわたる砂漠で、南東にはそのままルート砂漠が続き、アフガニスタン、パキスタン、インドへと砂漠地帯が広がります。古来から通商路として使われてきました。

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植物もまばらになってきました。途中、なんとか隠れられる場所を探して砂漠での青空トイレです。

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砂漠の中の唯一の町、ジャンダッグで昼食です。

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厨房ではお父さんとお母さんがチキンとトマトを調理し、息子のお兄ちゃんがウェイターです。

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息子たちと彼らの友達がいて珍しい外国からのお客さんに興味津々で寄ってきました。整列して写真をパチリ。

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再び砂漠の縦断、周辺には採石場や焼きレンガ工場などがあります。

ようやく長い移動が終わりヤズドに到着。ホテルに入り夕食はホテルにて。

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皆様、お疲れ様でした。

(つづく)

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【実況生中継!】 シルクロード大横断2015 第41、42日目


2015年10月2日(金) 第41日目

本日は終日、アシュガバードの観光です。

まず、近郊にあるキプチャク・モスクへ。ここには、トルクメニスタンの初代大統領であるニヤゾフのお墓もあり、先にそちらから見学しました。

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2006年12月急逝した前大統領サパルムラト・ニヤゾフですが、彼の出身地がこのキプチャクという町です。ここには彼の家族も埋葬されています。父、母、そして2人の兄弟。入口には二人の衛兵が2時間交替で24時間守っています。

そして彼が建てたキプチャク・モスクへ。

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とても立派なモスクが2005年に完成。イタリアのカララ白大理石をふんだんに使い、扉などに使っている木はモロッコから取り寄せました。シャンデリアはフランス製。そして中央ある大きな絨毯はバルカン州の女性40人が100日掛けて作った手織りの絨毯です。ミナレットの高さは91m(トルクメニスタン独立の年が1991年であることに因んでいます)、ドーム屋根までの高さは63m(預言者ムハンマドの享年)、内側のドーム屋根の高さは48m(アシュガバード大地震の年)、内壁にはラテン文字を図案化した模様があります。これは、自らをトルクメンバシ(トルクメン人の長の意味)を称したニヤゾフ元大統領が著した自伝書「ルーフ・ナーマ」からの言葉が使われています。

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2万人が一度に礼拝することができ、地下には車1000台、大型バス400台が駐車できます。私たちはその後トイレを見学に行くことに。1000人分のトイレが完備されていますが、モスクであるため、トイレという要素よりも体を清める場所という意味合いが強いようです。大理石のトイレも拝見し、出発しました。

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次に、西にあるニサ遺跡へ。ユネスコの世界文化遺産に登録されている遺跡です。

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紀元前3世紀から後3世紀までパルティア帝国初期の首都が置かれ、王宮が中心の旧ニサと商業地区の新ニサから成っています。現在、イタリアとロシアのチームが入り発掘調査が行われています。観光では旧ニサの王宮部分を巡り、ゾロアスター教寺院跡、玉座の間などを見学しました。

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街へ戻り郊外にある中立のアーチで写真ストップ。

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もともとは街の中にあったのですが、郊外への引っ越しを機にリニューアル、高さが75mから90mに。頂上には金ピカのニヤゾフ元大統領像が乗っています。これは変わりません。

そして独立記念塔へ。これは独立後8周年を記念して造られたもので高さが91m(独立年)、その頂上から27m下ったところにテラスがあります(10月27日が独立記念日)、またドーム部分に8本の水が流れる筋があります、これは独立8周年を表します。

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そしてここにもニヤゾフ元大統領像が。またまたここにも新婚グループがいました。今日は友人同士だけなのか、いつもに比べると少人数。そして忘れず記念撮影です。

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昼食は街の中のレストランにて。

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食後は歴史博物館へ。

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ニサを中心にトルクメニスタン全土から集められた考古学的にとても貴重なもの、また、民俗、特にトルクメニスタンの命とも言える絨毯の展示がされています。大地震の2日前に見つかった象牙製の杯リュトンや大理石の美しいロドゴウネ像、トルクメンバシ大統領に贈られた高さ13m、幅20mの大変大きな絨毯などが目を引きました。

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一度ホテルで休憩を取り、再び夕食へ出発。トルクメニスタンそして中央アジアでの最後の夕食です。

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ラム肉の煮込みをいただきました。

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そして明日イランに入国するので今日はお酒の飲み溜めの日です。禁酒国であるイランでは、2週間の『休肝日』となります。

帰りはライトアップされたアシュガバードの街並みを見ながらホテルへと戻りました。

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2015年10月3日(土) 第42日目

本日は、トルクメニスタンからイランへの国境越えです。

ガイドのセルダールさんが発熱の為、急遽現地会社マネージャーの女性ラチンさんが国境まで同行してくれることとなりました。街の南のゲートを通り、検問所を抜け、バスは山へとどんどん標高を上げていきます。ホテルを出てから1時間余りで国境であるバジギランに到着。

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まず税関審査、順調かなと思っていたら皆さん揃ってスーツケースのオープンチェックを受けることに。何やら荷物の中に銃らしき影が映っていたとか。もちろん、そんなものは持っていませんので、時間はかかりましたが無事に通過。ここでラチンさんとはお別れです。
その後出国審査へ。ここも無事に終了。いよいよこれから6ヶ国目イランへの入国となります。

イランは厳格なイスラム国家であるため、女性の服装には決まりがあり、ホテル以外ではスカーフで頭髪を隠し、体のラインの見えない上着を着用する必要があります。準備完了も完了し、歩いてイラン側へ。建物に入るとどれくらいになるか分からずのまま、待たされました。指紋も取られ時間はかかりましたが無事に6ヶ国目のイランに入国することができました。イランでのガイドさんはハミドさん、ドライバーさんはマホメットさん、そしてここでもやはり大型バスに乗り込み出発!

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チャネランという町で昼食。イランでの初めてのお食事です。

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中央アジアから入ったからでしょうか、比較的さっぱりとした味に感じます。たっぷりのごはんの上にチキンを乗っけていただきます。ごはんに油が付いていなくいただきやすいです。

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イランに入るとアルコール飲料は一切なし。ということで置いてあるビールは全てノンアルコールです。レモン味のビールをいただきました。

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食べ終えて再びバスに乗り出発。1時間程でイラン第2の街、マシャドに到着しました。大型バスがなかなか動きづらいということでバスを降りて市バスに乗り換え移動。こんな体験もまた面白いものです。

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地元の人たちにとっても普段見かけない外国人たちが乗ってきたようで、視線をばしばし感じました。

マシャドは「殉教の地」という意味で、シーア派イスラム教徒の聖地となっています。8代目エマームであるエマーム・レザーは35才でエマーム(シーア派で指導者の呼称)の地位に就き、817年この地で毒殺され殉教したと伝えられています。その後、その墓は聖地となりました。最初の墓は9世紀前半に建てられたのですが、その後、破壊と再建を繰り返し、現在の霊廟が出来たのは17世紀。いつも信者の熱気であふれています。私たちも中へ。女性には更にチャドルと呼ばれる布を纏っていただき入りました。もう見た目はイスラム教徒そのものです。本来、中での撮影は禁止なのですが、最近では携帯電話に装備されているカメラで撮影する人が殆どで、黙認されています。それならばと、みなさんで記念撮影をしました。

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バスに乗りホテルへ。暫しの休憩後、ホテル内にて夕食をいただきました。

(つづく)

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本当の混沌と異国が日暮里にあった! レストラン ザクロ


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JR日暮里駅北改札口から西口を出て、左方面へまっすぐ、左手に有名な谷中霊園を見ながらしばらく進み、短い階段を下ると、右手にそのレストランはあります。

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外観からして明らかに周囲の雰囲気とは異なり、日本とは思えない存在感をこれでもかとアピールしている、『レストラン ザクロ』です。エスニック料理マニアの間では有名店でも、一般的にはほとんど知られていない、穴場中の穴場、と言っても過言ではないでしょう。

レストラン ザクロは、イラン・トルコ・ウズベキスタンの料理を提供するレストラン。
一歩店内に入ると、天井からは中東のランプがところ狭しとぶら下がり、お客さんは、ペルシャ絨毯を敷き詰めたフロアに直接スタイル。まさに店内は、中東のどこかの町のレストランに迷い込んでしまったかのような錯覚さえ覚えます。

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ディナータイムに来店する99%お客さんが注文するといわれるのが、その名も「食べきれないコース(2,000円)」。お店側のお任せで、イラン・トルコ・ウズベキスタンの料理がこれでもか、というくらい、まさに「食べきれない」ほど出てきます。これに1,000円をプラスすると、「食べきれない、飲みきれないコース」となり、指定ドリンクメニューが飲み放題となります。次々と出てくる料理はどこの何という料理なのかなかなか分かりませんが、スタッフが簡単に説明してくれるので、それを聞くのも楽しみです。

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毎晩20時からは、オーナーの「計画停電~」の一言で店内が暗くなり、ベリーダンスのショーが始まります。(ショーのチャージとして、19時30分以降は500円が追加されます)。
約30分ほどのショーでは、お客さんも見ているだけでは済まされません。次々とダンサーからお声をかけられ、一緒にダンスを披露します。ショーの最後には、何となく店内が一つになったような連帯感が生まれているから、不思議です。

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3人以上で食べきれないコースを予約すると、シーシャが1台ついてきます。
シーシャとはいわゆる「水タバコ」のこと。バラなどの花やリンゴなどのフルーツをはじめとしたフレーバーを楽しみます。ニコチンやタールを除外したタバコで、水を通して吸いますので、普段喫煙の習慣のない方でも問題なくその香りを楽しむことができます。なかなか日本では体験できないものなので、ここザクロに来たら是非とも挑戦してみたいものの一つです。

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さて、このレストラン ザクロを有名にしているのは、提供している料理の珍しさや混沌とした異国情緒あふれる店構えだけではありません。
最も有名なのが、名物オーナーのアリ氏。

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出身地をうかがうと、「日暮里生まれ~」などとおっしゃいますが、実は、イランの西部、タブリーズの生まれだとか。2週間の予定で来日したのが、気づけばもう滞在21年。レストランの経営のみならず、中東の雑貨や食材の輸入も手掛ける実業家です。最初にご紹介した天井のランプも、単にお店のインテリアなだけでなく、値札がついており、販売もしています。そして、安いのです!

このオーナー、とにかくお客さんをいじり倒します。
気を抜いていると後ろから中央アジアの帽子をかぶらされたり、ベストを着せられたり、被り物をかぶらされたり、挙句の果てには店内のラクダ(もちろん、ぬいぐるみです)に乗せられたり(笑)

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いつの間にかこのアリさんの世界に引き込まれ、またアリさんに会いたくなって、お店を再訪するお客さんも多いのだとか。何となく分かるような気もします。

ランチ時間にも営業しており、リーズナブルなお値段で、お腹いっぱい食べることができます。
20時からのベリーダンス・ショーを目当てに来店するお客さんがほとんどのため、19時以降は予約しないと入れないことも多いようです。

料理自体も美味しいものばかりなので、普段口にすることの少ない料理を目当てに訪ねてみるのももちろんですが、このお店自体を楽しみに行ってみることを是非、お勧めします。

RESTAURANT INFO
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レストラン ザクロ
住所:東京都荒川区西日暮里3-13-2 谷中スタジオ1F
電話:03-5685-5313
URL:http://zakuro.oops.jp/
定休日:水曜日
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