世界の隅々まで見てみよう!個性派の陸旅倶楽部

㈱トラベルハーモニーの新ブランド『個性派の陸旅倶楽部』が徒然なるままにお届けする、アジア、中近東、ヨーロッパ、アフリカ、北米、南米、オセアニアなど世界各地のホットな情報やそれらにまつわるトピックのブログです。

タラス

【実況生中継!】 シルクロード大横断2015 第30、31日目


2015年9月21日(月) 第30日目

本日は、タラスを出発して、トルキスタンへ向かいます。

Breakfast

その前に、タラス郊外にあるアイシャ・ビビ廟の観光へご案内しました。約30分で到着です。

Aisha_Bibi_Mausoleum_01

アイシャ・ビビ廟は、11世紀に建造されたカラハーン王妃アイシャの霊廟と言われています。50種以上のデザインの焼きレンガと日干しレンガを使用した美しい廟ですが、文献があまり残っていないので詳しいことは分かっていません。アイシャには毒蜘蛛に刺され亡くなったという伝説が残っています。

Aisha_Bibi_Mausoleum_02

またその隣りには彼女の乳母と思われるババジ・ハトゥンの廟があります。

天山の支脈、キルギス・アラトー山脈を望む場所で写真ストップ。今日も天気がいい。天山が見られるのもこれが最後です。

Photo_Stop_01

Photo_Stop_02

以前に比べると、道路が本当によくなりました。カザフスタン第2の街シムケントに順調に到着。ここは、ウズベキスタンとの国境まで120kmと近く、ウズベク人もたくさん住む街です。ここで昼食をとりました。ここのレストランはシャシリクが美味しい。今日も羊肉のシャシリクをいただきました。やはり美味しかったです。

Lunch_01

Lunch_02

昼食後、再び出発。こちらも道路がよくなり、トルキスタンまで約2時間で到着。
ここには世界遺産に登録されたコジャ・アフメド・ヤサウィー廟があります。

Mausoleum of Khawaja Ahmed Yasawi

ヤサウィーは13世紀の高名なスーフィー(神秘主義者)かつ詩人で、彼によって書かれた詩は神秘主義的な思想を含み、バルカン半島に至る地域にまで愛唱されました。そのヤサウィーを崇拝するヤサウィー教団の聖地、巡礼地となりました。1390年代にティムールの命で元々あったものが拡張される工事が行われたのですが、ティムールの死去とともに未完のまま。ティムールが贈った大鍋「カザンルク」があります。現在修復中ですが、美しい青いドーム屋根が残ってます。

そして宿泊ホテルへ。夕食はホテルにて。

Dinner_01

Dinner_02

ビーフストロガノフが出てきました。なんとなくお食事はロシア風です。

Dinner_03

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2015年9月22日(火) 第31日目

トルキスタンのホテルは、かつては宿泊すると電気が点かない、水・湯が出ない、トイレの水が流れない、ドアノブがない…などは当たり前で、快適に過ごせたためしがなかったのですが、今回は何とか大きな問題もなく宿泊することができました。

朝食をとっていると、ちょうど昇っていく朝日が見られました。朝焼けにヤサウィー廟が赤く染まっていきます。

Sun_Rise_01

Sun_Rise_02

トルキスタン出発。今日はカザフスタンでの最後の観光があります。
1時間程走るとオトラル遺跡に到着しました。ここは10~13世紀に中央アジアの主要都市として栄えた町の遺跡。13世紀チンギスハーンは派遣した隊商一行がこの地で殺害されたことに激怒し、町を徹底的に破壊しました。これがモンゴルによる中央アジア征服のきっかけになったと言われます。また中央アジアを支配したティムールが1405年に明(中国)への遠征の途中で亡くなった町としても知られています。現在では殆ど何も残っていないのですが、浴場跡、城門、モスクなどを僅かに見ることができます。現在、至る所で修復工事が行われています。

Otrar_01

Otrar_02

Otrar_03

Otrar_04

Otrar_05

観光後、再びシムケントへ。昨日と同じレストランで、カザフスタン最後の昼食をとりました。昨日と同じ羊肉のシャシリクとロシアの水餃子ペフミニ。

Lunch

餃子は形が違えど、至るところで食されている食べ物で、きっと、このシルクロードを通って西へ東へと行き来したのでしょう。

腹ごしらえを終え、120km離れたウズベキスタンとの国境へ。

Border

国境手前で一週間一緒だったガイドのエルメックさん、ドライバーのボロージャさんとお別れ。ここからは私たちだけで国境越えです。まずカザフスタンの出国審査。比較的スムーズに終わり、ここからメインイベントのウズベキスタン入国審査へ。ウズベキスタンに入国する際には必ず税関申告書を提出しないといけません。所持金と所持している電子機器の金額や個数をそれも英語で書かないといけません。混み合う審査場で記入を終え、税関へ行くと「えっ、ちゃんと見たの?」と疑いたくなるくらいあっさりとした審査。税関申告書にハンコをいただき、入国審査も終え、無事第4カ国目のウズベキスタンに入国!審査場を抜け歩いて行くとウズベク人の女性アシスタント・マルさんがお出迎え。そのままバスに乗りタシケントへと向かいます。

タシケントは今回訪れる中央アジアの都市の中では最大で人口300万人。大都会に来たという感じで走っていきます。今回宿泊するホテル「シティ・パレス」は新市街の中心に位置し、散策するにもとても便利な場所にあります。チェックインをして、しばらく休憩、そして夕食はホテル内のレストランにて。

Dinner_01

最後にデザートのケーキと紅茶・コーヒーが付いてました。街に来たと実感した瞬間でした(笑)

Dinner_02

(つづく)

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【実況生中継!】 シルクロード大横断2015 第28、29日目


2015年9月19日(土) 第28日目

本日は、キルギスの首都ビシュケクへ向かいます。

Hotel

途中、アクベシム遺跡に立ち寄りました。

Ak_Besim_01

ここは、5~12世紀にこの一帯で勢力を誇っていたソグド人や突厥の都市遺構で、貨幣や仏像のレリーフの断片が発見されたことにより、唐代のスイヤーブ(砕葉城)であることが判明しました。玄奘がインドへ向かう途中、西突厥王に会い大いなる歓待を受けました。また、唐代の大詩人・李白の故郷とも言われています。ここは何も残っていない遺跡、想像力が必要な遺跡です。

Ak_Besim_02

その後、トクモクという街にある民家で昼食をとりました。ムカンさんというお宅にお邪魔しました。

Lunch_01

日本と同じく靴を脱いで中へ入ります。テーブルにはたくさんのお皿が載っていますが、お客さんをもてなす時にはたくさんの料理が振る舞われます。

Lunch_02

たくさんの前菜とメインは麺料理・ベシュバルマック。羊肉の入った麺で「5本指」という意味、5本の指を使って食べるのでこう呼ばれます。

Lunch_03

庭では小さな女の子が湯沸かし器サモワールでお湯を沸かしていました。ここキルギスでは、家のお手伝いをする子供たちをよく見かけます。偉いですね。

Lunch_04

食後、近くにあるバラサグン遺跡を見学しました。
ここには、10~13世紀にこの一帯を支配していた遊牧民国家カラハーン朝の首都がありました。シルクロードはまさにこの街を通っていたのです。
11世紀に建てられたブラナの塔は見張り塔や陸の灯台として使われていたとも言われまています。もともと44mあった塔は現在27m。

Brana_Tower_01

小さな博物館やキルギス各地で発見された人の形をした墓石・石人などを見たり、皆さんブラナの塔に上がりました。

Stone_People

中は細く急な階段になっており、へばり付きながら上まで。遺跡や近くのキルギス・アラトー山脈などが一望できます。とてもいい運動になりました。

Brana_Tower_02

その後ようやく首都のビシュケクに入りました。さすが都会、交通量も増えてきました。日本車は人気があり、たくさんの中古車が道端では売られています。

街の中心がアラトー広場で、真ん中にはキルギスの英雄マナス像と国旗があり、国旗を守る衛兵が立っています。

Ala_Too_Square_01

「マナス」は50万行からなる民族叙事詩でもあり、世界最長の口承文学です。生まれた時は身長1m、体重10kgだったそうです。広場に建つ国立歴史博物館を見学しました。キルギスの歴史や民俗に関するものと旧社会主義時代の資料を展示しています。

Ala_Too_Square_02

Ala_Too_Square_03

一度街の南にある今晩泊まるホテルに入り、改めて夕食へ。今回はこのツアー3回目の日本食。日本の方が経営する「FURUSATO」というレストランです。

Dinner_01

サンマとサバの魚料理が内陸国では何とも有難いです。そしてご飯と味噌汁。日本人の方が経営されてるということで味は日本と変わらない。

Dinner_02

オーナーも出てこられ、ご挨拶をいただきました。4年前の東日本大震災の時、決して豊かとは言えないキルギスが日本に援助をしてくれたのをきっかけにビシュケクで日本食レストランを開業することを決意されたんだそうです。

Dinner_04

日本人だけではなくいろんな国のお客さんが食事をする、活気ある場所となっていました。

Dinner_03

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2015年9月20日(日) 第29日目

本日は、ツアー始まってから2回目の国境越え。キルギスからカザフスタンへ参ります。

ビシュケクから程近いコルダイという場所が一つのカザフスタンとの国境となっています。ホテルを出発して約30分で国境に到着。まず、キルギスの出国審査を受け、そしてそのまま歩いてカザフスタン側へ入り入国審査となります。私たちは比較的簡単に終わりましたが、バスの方が少々時間がかかったようで、しばらく待つことに。結局、約1時間で出入国審査を終えました。その後、すぐに給油。物価はキルギスよりも高いカザフスタンなのですが、ガソリンは安い。公式レートで計算すると1L=50円くらいです。産油国ならではの恩恵、羨ましいですね。

カザフスタンは国土が世界第9位の大きさで日本の7倍強、国境を接する国はロシア、ウズベキスタン、中国、キルギス、トルクメニスタンで、長さは1万2,000km余り。国土の44%は草原で14%は半砂漠です。以前に比べると道路がとても良くなり、これから向かうタラズの街までは殆どハイウエイを通っていきます。

View_on_the_way_01

View_on_the_way_02

途中、ドライバーたちの休憩場所となっているアクルトベという場所に止まり昼食です。

Lunch_01

食堂に入り、中央アジアで食されている「ショルポ」という羊肉とジャガイモの入ったスープとマンティをいただきました。どちらも家庭料理で美味しい。

Lunch_02

Lunch_03

Lunch_04

順調に走り、タラズの街に到着しました。ここはキルギスからタラス川が流れる場所。751年7月スイヤーブに駐屯していた唐軍とブハラ・サマルカンドに結集していたアッバース朝のイスラム勢力がついにタラス川で決戦、しかし、唐軍内部のカルルク族の離反が起こり、イスラム側の勝利となりました。この戦いそのものはその後の中央アジアの運命を決するような意義はなかったのですが、それよりも重要なことがその捕虜となった唐軍内兵の中に紙漉き職人がいて、製紙方法が西へ伝わる出来事となりました。6年後にはサマルカンドに初の製紙工場ができ、12世紀終わりにようやくヨーロッパへ技術が伝わりました。
現在、その決戦を示すようなものは何も残っておらず、異なる時代の2つの霊廟が建っているのみです。

川や街を見下ろしていると、遠くから新婚さんやその家族、友人たちがやってきました。

Taraz_River_01

Taraz_River_02

Wedding_01

こちらでは街の代表的な場所を訪れるというのが慣習となっていて、訪れては練り歩いたり撮影会が始まります。暑い夏が終わってこれからしばらくは結婚シーズンです。私達も若い新婚さんたちの新しい門出を一緒にお祝いしていると、またまた別の新婚さんがやってきました。今日は結婚日和のようです。

街に移動しもう一ヶ所、カラハーン廟に立ち寄りました。

Mausoleum_01

Mausoleum_02

ここは、11世紀のカラハーン朝君主の廟で、カラハーン朝はイスラム王朝で13世紀初めにホラズム王国に滅ぼされました。現在の廟は20世紀に入ってから修復されたものです。

すると、ここにも新婚さんが。

Wedding_02

先ほどタラス川で見かけた新婚さんもいればまた別の新婚さんもやってきて…今日は何組の新婚を見かけたことか。どの新婚さんも長いリムジンカーに乗って移動しており、いつしか皆さんの興味も観光よりもリムジンカーへ。

Wedding_03

ちょっとお邪魔して乗せてもらいました。リムジンカーを使ったオプショナルツアーも作ってしまえばという声まで出ました。

Wedding_04

その後、ホテルへ到着となりました。

Hotel

(つづく)

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