世界の隅々まで見てみよう!個性派の陸旅倶楽部

㈱トラベルハーモニーの新ブランド『個性派の陸旅倶楽部』が徒然なるままにお届けする、アジア、中近東、ヨーロッパ、アフリカ、北米、南米、オセアニアなど世界各地のホットな情報やそれらにまつわるトピックのブログです。

中近東

ギネス認定!世界一傾いているビル アラブ首長国連邦/アブダビ


アラブ首長国連邦のアブダビにある地上35階、高さ160mの『キャピタル・ゲート・ビル(Capital Gate Building)』はギネス世界記録に認定されているビルです。

どんな名目でギネス認定されたかというと・・・

   世界一大きく傾いた人工建造物

として、2010年6月にギネス世界記録に認定されました。

CAPITAL_GATE

傾いた建物といえば、イタリアの「ピサの斜塔」が有名ですが、そのピサの斜塔でも傾斜は4度。それに比べて、このキャピタル・ゲート・ビルは西の方向に18度傾いており、その差は4倍以上。いかに傾斜しているか、お分かりいただけると思います。

どのようにこんなに傾斜したビルを建てたのかというと、全35階のうち、12階までは通常通り垂直に建設し、それより上の階については、30cm~140cmずつずらして配置し、傾斜をもたせたとのこと。
もちろん、内部の床は水平を保っているので、ご安心を。

CAPITAL_GATE_02

テナントとして、ハイアット・キャピタル・ゲート・ホテルやオフィス群が入っています。

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『イスラム国』とは何か?


湯川遙菜氏と後藤健二氏がイスラム過激派勢力により拘束され、日本政府に対して72時間以内に身代金として2億ドル(約236億円)の支払いを求めているニュースが連日テレビ、ラジオ、新聞等を賑わせています。
日本政府も刻一刻と迫ってくる期限と戦いながら、あらゆるルートを駆使して解決に向けて対応をしていることと思いますが、お二人が無事に釈放されることを切に願ってやみません。

このイスラム過激派勢力こそ、『イスラム国』です。
当ブログは、政治的、宗教的意見を表明する立場にありませんが、やはりこれだけ日本のみならず世界を揺るがしているこのイスラム国を知らずにいることもできません。
今日のエントリーでは、イスラム国とは何かについて簡単に触れたいと思います。

Islamic_State_Logo

イスラム国は、2000年頃にヨルダンなどで発足した「タウヒードとジハード集団」を前身としています。この組織は、合流、共闘するグループの変化に伴い数回の名称変更を行い、2013年4月「イラクとシャームのイスラム国(略称:ISIS)」と改称しました。

2014年6月29日、ISISは同組織のアブー・バクル・アル=バグダーディーこそが「カリフ」であり、あらゆる場所にいるイスラム教徒たちの指導者であるとし、イスラム国家であるカリフ統治領をシリア、イラク両国のISIS制圧地域に樹立すると宣言し、ラッカを首都としました。これにともない、組織名から「イラクとシャーム」を削除し、「イスラム国(Islamic State)」と改変することが発表されました。これが現在のイスラム国です。

では、イスラム国が掲げる目標、主張とはいったいどのようなものなのでしょうか?
現在の中東諸国は、第一次世界大戦まではオスマン帝国の領土でした。1916年、イギリス、フランス、ロシアはこの領土をアラブ人やクルド人といった現地住民の意向を無視して、自分たちの勢力圏を定める秘密協定(これを「サイクス・ピコ協定」といいます)を締結し、第一次世界大戦後、この協定に若干の修正を加えてこの領土に国境線を引きました。こうして西欧列強の植民地となったこの地はその後、独立を果たしましたが、現在ある国の枠組みに分割されての独立でした。イスラム国の目標の一つは、この国境線を消し去り、かつての秩序を取り戻す、というところにあります。また、その支配下では、厳格なイスラム法の極端な解釈に基づく思想教育を図ろうともしています。

Islamic_State_Map

イスラム国は、国家の樹立宣言はしたものの、現実的には日本はもちろんのこと、欧米諸国、周辺諸国及びイスラム教諸国の政府から国家として承認されていません。
そんな中でも、徐々に国家としての体裁は整えつつあるようで、首都としたラッカの市民からは徴税も行い、省庁も整備、閣僚も置かれているといいます。また、支配地域内の住民のためにパスポートまで発行されているようです。
さらに、2014年11月には独自の通貨も発行することが発表されています。

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ざっとイスラム国の概略のみ述べてみました。
イスラム国に関するニュースを目にしないことのない昨今、この程度でも予備知識をもってニュースに触れれば、同じニュースでもまた少し、違った視点で見ることができるかもしれません。

再度になりますが、今回の事件も、平和的に解決されることを心から願っています。

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添乗員現地最新レポート ヨルダン編⑲


ヨルダン北部ジェラシュは、首都アンマンからは北へ48kmの場所に位置する標高600mの丘の上にあります。

ジェラシュは、古代にはゲサラと呼ばれたデカポリス(十都市連盟)のうちの一つであり、現在も古代ローマ時代の都市遺跡が保存状態よく残っています。その遺跡の大きさや発掘の大規模さ、保存状態の良さから「中東のポンペイ」とも呼ばれています。

デクマノス

デクマノス2

デクマノス3

フォーラム2

フォーラム跡

競馬場

劇場跡

商店の跡

商店床モザイク

噴水跡

噴水跡2

青銅器時代(紀元前3200年~紀元前1200年)には集落があったことが分かっていて、ヘレニズム期にはセレウコス朝シリアやプトレマイオス朝エジプトの争奪の地でした。この時期にギリシャ風の建物が多く建てられ、アンティオキアと名付けられた町の一つでした。紀元前63年、古代ローマにより征服された後、シリア属州の一部となり、近隣の都市とデカポリス(十都市連盟)を組みました。ローマ帝国のもとで治安や平和が保たれたことにより、人々は経済活動や公共施設の建設に時間や労力を割くことができ、交易が発達して都市基盤が整ったとされます。

ハドリアヌス帝は、129年から130年にかけてゲサラを視察巡幸しています。今見られる凱旋門は、この際の訪問を記念して建てられました。ラテン語による碑文には、皇帝を護衛する騎馬兵がこの地で越冬した間に、神々への奉納を行ったことが記録されています。

凱旋門

614年にササン朝ペルシャの侵入によりゲサラは急激に衰退しましたが、イスラム帝国による征服やウマイヤ朝の支配下でも都市活動は活発に行われていました。その後、746年に大きな地震が町を襲い、以降、ジェラシュは再建されませんでした。1920年代になると、現在まで続いている遺跡の発掘が始まり、一部土中に埋もれていた都市が姿を現わしたのでした。

(おわり)

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本日で、添乗員現地最新レポートのヨルダン編は終了です。お読みいただき、ありがとうございました。
次回の添乗員現地最新レポートは、2月の初旬より、南米のアルゼンチン、チリ、ボリビアへのツアーをレポートいたします。お楽しみに!

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添乗員現地最新レポート ヨルダン編⑱


サルトはヨルダン中西部の中心都市。
古代から農業で栄えた町は、アンマンとエルサレムとを結ぶ街道の半ばにあります。

町中3

町中

町中2

町中4

町中5

町中6

サルトの歴史は古く、前期青銅器時代にまで遡ります。一時期はトランスヨルダンの首都としての機能をはたしていたこともあります。
ローマ帝国が支配していた時期、サルトはラテン語で森林を意味するサルトゥスの名で知られており、後の東ローマ帝国時代には、主教が置かれていました。この時期、サルトゥスはヨルダン川東岸の中心都市となっていました。モンゴル帝国の襲来によって破壊されたサルトは、マムルーク朝時代に再建されます。その後、オスマン帝国による支配の後には再度、ヨルダン川東岸の中心都市となります。

全盛期は19世紀末期、ヨルダン川西岸のナブルスの貿易商人たちが交易路をヨルダン川の東へ延長してサルトに至った時期です。自然の美しさや水の豊かさに恵まれていたサルトには、新しい住民が流入して急速に拡大しました。その頃、近郊で切り出された山吹色の石灰岩を使って建てられたナブルス風の家々が建ち並ぶようになり、いまだに19世紀末の伝統建築が多数残っています。

ここで紹介する有名な商人アブ・ジェーベルの邸宅は、JICAの整備により現在はエコ・ミュージアムとなっています。

アブ・ジェーベルの邸宅

jica パネル

JICAは従来の博物館(建物)に資料を収集し、来訪者がそれを見学するのではなく、町中の現地保存した資料を来訪者が現地へ見に行くという、エコ・ミュージアムの概念に基づいて協力しました。

博物館内 石 

博物館2 衣装

博物館3 

(つづく)

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添乗員現地最新レポート ヨルダン編⑰


ヨルダン北部の都市にアルジュンはあります。
首都アンマンからは北西へ約76kmの場所に位置する丘の多い町です。ここでは、12世紀に建てられたアジュルン城が有名です。

アジュルン町 城から

アジュルン城はかつて、修道院のあった丘の上に建てられています。

外観

1184年、イスラムの英雄サラディーンの部下により、ダマスカスとエジプトを結ぶ道をカラクの十字軍による攻撃から守るために建てられました。その後、マムルーク朝の時代に増築されましたが、1260年にモンゴル帝国軍によって陥落しました。

城の周囲を囲むように堀の跡が残り、現在の入口にはかつて、跳ね橋が架かっていました。内部は3階建て~5階建ての構造になっており、各部屋の床面積は広く、当時多くの兵士がいたことが分かります。

内部 回廊

内部 部屋

内部

内部2

内部3

ここは修道院跡に建てられたため、一部、床にモザイクが見られるほか、雨水を利用した水利システムも見ることができます。

モザイク跡

内部の博物館には、アジュルンで発掘された紀元前に遡る土器や壺の展示されており、また、全盛期に活躍した投石器の石玉が今も積み上げられています。

当時、伝書鳩を利用してダマスカスからアジュルン城、カラク城、そしてエジプトへとメッセージを伝達していた記録も残っています。

今回のヨルダン探訪では北西部アジュルンに1泊し、前述のウンム・カイス、タバカット・ファハル、そして、アジュルン城を訪ねました。

(つづく)

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